上野上子安地蔵
安永二年(1773年)2月24日伊勢川川両岸の申合わせにより、此の地を*1卜し(ぼくし)子安地蔵を*2勧請(かんじょう)しました。子安地蔵の堂には子安地蔵と四国61番札所の香園寺の子安大師がまつられています。
2月のほか7月24日の例祭には相撲、芝居、踊りなどあって盛況でしたが、芝居、踊りは時代によって一定せず、 相撲は毎年なされていました。
解願には子安地蔵に着物を着せ、幼児成長の願かけには地蔵の着物をいただき、赤児に着せる風習がありました。現在は*3解願き(がんほどき)によだれかけに、親と子供の名前とメッセージを書き子安地蔵に掛ける事が多くなっています。
用語: *1卜す(ぼくす) 占って、よしあしを判断する。
*2勧請(かんじょう) 神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること
*3 解願(がんほどき) 神仏にかけた願がかなった後に、礼参りをして、願がけを解くこと
アクセス
関連ページ
上野上観音には上野上子安地蔵の他、西国三十三札所を一堂に集めた地蔵を置いてある西国三十三所前札所観世音菩薩と弘法大師をお祭りしてある、金光山仙龍寺奥の院があります。下記写真をクリックして詳細ページをご覧ください。