西国三十三所前札所観世音菩薩

高知県土佐町上野上出身の僧侶圓宗院が西国三十三所を巡り、明治参拾参年(1900年)に西国三十三所の各寺を示す石像を作り上野上の観世音菩薩を勧請しました。

西国三十三所前札所
園宋院肖像画
西国三十三所と奥の院を訪れ、この地に
西国三十三所前札所を作り石像を配置

西国三十三所前札所と参拝兼集会所、休憩所

西国三十三所観世音菩薩扉を開けた内部
西国三十三所の各石像の名前
中央に座す石像 天台宗に係るもの

西国三十三所と上野上観音の由来

養老2年(718)、大和長谷寺の開山徳道上人は、病にかかって仮死状態になった際、冥土で閻魔大王と出会います。閻魔大王は、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めなさいと、起請文と三十三の宝印を授けました。現世に戻った徳道上人は、閻魔大王より選ばれた三十三の観音霊場の礎を築かれました
西国三十三所の総距離は約1000㎞に及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と2府5県にまたがります。やがて遠方により巡礼が困難な人々のために、各地に霊場が創設されます。
当地(高知県土佐郡土佐町上野上)出身の僧侶の圓宗院が西国三十三所と番外所を巡り、明治三十三年(1900年)に西国三十三所の各寺を示す石像を作り上野上の観世音菩薩を作りました。

西国三十三所の前札所として石像37個を設置し観世音書薩を勧請に及び、従来の例祭(2月24日、7月24日)に7月9日を加えました。例祭には相撲、芝居、踊りなどあって盛況でしたが、芝居、踊りは時代によって一定せず、 相撲は毎年なされていました。現在は毎年7月の最終土曜日の1週間後のみ小規模の例祭を開催しています(土佐町の中島観音の大祭の1週間後)。

参照:西国三十三所巡礼の旅  土佐町史

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